あたりまえの輪郭

記憶の続かない祖母と暮らしている。
今晩は、二人きりの夕食。
普段はしない質問をしてみた。

—―友達となかよくするにはどうしたらいいの?
「意地の悪いことを言わないことや」
 
—―意地の悪いことって?
「頭ごなしに違うって言わんこと」

—―すぐに否定しないってこと?
「違うのはあたりまえやから」

少し間が空く。
何かを考え込んでいるような、いつもどおりのような、表情からは掴めない。

ここまでの短い会話、まだ記憶に留まっているのか分からない。
また聞いてみる。

—―婆ちゃんは友達との関係で苦労した?
「ん…

 そういうのは、とても難しいことやな」

会話終わる。

わたしの家は会話の多い家庭ではなかった。
このように祖母に向けて質問をしたことがなかったような気さえする。
お互いが何かを考える静かな時間に余白がゆったりと浮かんできたように思えた。

「記憶が続いている」というあたりまえの輪郭を見つめながらの会話。
矢継ぎ早に言葉をつなぐことや、求められる答えを即座に返すことばかりが、会話ではない。

某番組で、コミュニケーションを①他者への伝達と②他者の操作 で分類していた。
現代は「操作」偏重も仕方ないとしたうえで「コミュ力」について考えていた。
コミュニケーションに苦労している人ほど①をないがしろにしながら②に苦心しているように見える。

輪郭をかたくむすんで密にすると、弾力があり勢いは増すが、余白が消える。
輪郭は柔らかく周縁にも濃度を行き渡らせ、他者を受けとめる余地を残していたい。
会話は本来、そういうものだったはずだ。